#006井の中の蛙、大海を知る
営業アシスタントしての研修を終え
いち営業マンとして独り立ち
先輩営業マンのアシスタントをして約3ヵ月が経ち、営業部長から一人で営業にでるように命じられました。
当然、新人営業マンの顧客はゼロ。
先輩や上司から顧客の引継ぎが行われました。
新人ということで、とても仕事がしやすい優しい社員会社をばかりのき継いでもらえる・・・
そんな幻想を抱いていた私の期待はすぐに消えてなくなってしまいました。
ここは営業部、歩合制で働いている先輩方が「仕事をしやすい会社」「売り上げが上がる会社」などを引き継いでくれるわけがありません。
「無理難題ばかり言ってくる会社」や「めんどくさいのに売上にはほとんどならない会社」が引き継がれました。
あとは「電話での新規開拓」で得意先を増やすように言われました。
さて、私のことをよく知っている方は「吃音があるのに電話営業なんて出来るの?」
と思われたかもしれませんね。
実は吃音が発症するのは1年後、この段階ではむしろ電話は得意でした。
新規開拓用の台本を作って、電話に出た相手がどんなパターンの返答をしてきてもベストな返しができるようにしました。(どんな台本を作ったかは長くなるので割愛)
そのおかげで、たくさんの新規顧客を獲得することができ、どんどん忙しくなっていきました。
新しい取引先は基本的に信頼関係がしっかりしてくれるまで大きな仕事はくれません。
最初は小さな仕事を少しずつ、それを着実にこなして少しずつ大きな仕事を投入してくれるようになっていきました。
何度も電話で営業をかけて、やっとの思いでプレゼンまでこぎつけ、小さな仕事を受注して、だんだん大きな仕事を任されるようになる、そんな結果を出していく過程には『大きなやりがい』を感じていました。(もちろん失敗の方が圧倒的に多いですよ)
そのようにして先輩方から引き継いだ癖有のお客様の他に、自分独自のお客様を増やしていく、この頃が一番楽しかったのかもしれません。
学生時代から憧れていたデザイナーとも仕事ができるようになりました。
吃音も無かったですし、双極性障害も薬でコントロール出来ていました。
また、顧客が増え始めるにつれて、色々な会社のデザイナーと直接会う機会が増え、アトリエで打ち合わせをしたりするようになりました。
本物に触れ続けて大海を知る
そんな日々は最初の頃は「やりがい(モチベーション)のアップ」に繋がっていましたが、次第に「自分のセンスのなさに否が応でも気づかされることとなり、ネガティブな気持ちになる」ことの方が多くなってきました。
その時は営業マンとして打ち合わせしてはいても、やはり私の一番やりたかったことは『洋服を創る』こと。デザイナーとして今までにないような洋服を創造したかったのです。
つまり『創る=0→1』を産み出すこと。
その世界で何十年もデザイナーをされ続けている方というのはやはりセンスの塊のような人が多かった。
画像参照:繊研新聞
しかもアトリエも洗練されていて、センスの塊のような人たちばかりでした。
学生時代から大きな賞をたくさん取られている方も多い。
ファッションという流行に大きな影響を受ける世界で生き残ってきたデザイナーというのはやはり一味違います。
幾度となく圧倒されましたね。
たかだか学生時代にちょっとチヤホヤされた程度の自分とは月とスッポンでした。
学生時代の友人たちは「そんなデザイナーたちにたくさん会えていいね!」と言われることが多かったのですが、
私の本音としては「自分には無理かも・・・」というネガティブな気持ちになることの方が多かったんです。
『デザイナーはお前がなれるような甘い世界じゃないよ』
そう言われているような感覚
007に続く
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